Fukushima50
こんにちはninonです
Fukushima50
を観てきました
映画は好きでレイトショーでよく観ます
Tを一応誘いますが
結局ほとんど1人で観に行きます
今回はコーヒー豆を調達して
映画を観てくると言ったら
TがFukushima50なら観たいというので
2人で出かけました
映画館は人は少なく
座席も
隣同士ではチケットが取れません
一つ飛ばしでしか買えない仕組みになっていました
そして
チケットも接触を避けるために
見せるだけで入館できるようになっていました
Fukushima50
現場に最後まで残り続けた50人を
Fkushima50と呼んだそうです
映画の初めから
怖いというか辛いというか
逃げたい感情に押しつぶされそうになりました
被災していない私は知った気になっても
何も本当のことを知らない
この怖さも辛さも
時間ごとに克明に
何が起きていたのか描かれていました
当時、東電職員がいち早く逃げたという報道がありました
実際には必死でくいとめようとしていたのに
報道されていたことと実際は違って
現場には残って最後まで戦った人たちがいたことを
のちに知りましたが
この映画を観て
パズルの穴が埋まったような感じです
必死で頑張っていた人たち
「頑張って」という言葉では申し訳ないほど
死を覚悟して戦っていた人たちがいた
映画を観終わって
とても疲れました
何かに申し訳なく思いました
苛立ちも覚えました
誇り(という表現でいいのかわかりませんが)も感じました
佐藤浩一が
「俺たちは、何か間違ったのかな」
と、問いかけます
渡辺謙が答えます
「間違ったのは、自然を征服できたと思ったことだ。
自然の力をみくびっていたことだ。」
と。
奇しくも新型コロナの騒ぎの最中
自然の力は怖い
自然は私たちを優しく包み込んでもくれる
自然の力はどちらに振れても大きい
映画を観ながら
被災した友達のことを考えていました
あれから9年
あの明るくよく笑う彼女は
まだ立ち直っていません
直後は気丈だった
時間が経つほどに
心が整理できなくなっている
飼っていた芝犬は
緊急地震速報の音がすると
パニックになるそうです
物が落ちてくるのが怖くて
いろいろな物を床に置いて生活していた時期もありました
よく一緒に旅行をしていたので
誘い出そうとしても
家を空けている間に何かがあったら
と思うと出かけられないと言っていました
励まそうとしていた自分が恥ずかしい
とても励ましたりなどできるものではい
会えば美味しいものだって食べるし
笑って話もする
だけど
別れた後に不安がつきまとう
彼女とは
心底、笑って食べておしゃべりをしたい
と思うのです
おやつはおやすみ
去年の桜です
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